
| 8 「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す。ね。」 ゆづ姉はその夜。 如樹さんと海昊さんのことをそういった。 「徳行のある人は、何をいわなくても人を心服させる。自然と人に尊敬されて、仲間が集まってくる。」 ……うん。 まさに、如樹さんや海昊さんだ。 桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す。 良い実を付ける桃や李の樹は物をいうことはない。 けれど、実を取るのに人が通って自然に小道、蹊ができる。 人徳ある人には自然と人が集まる。ことの例えだ。 「つづ、人を見る目あるじゃん。」 ゆづ姉は嬉しそうに布団に寝転がった。 「まだまだいろんな体験するのよねー。つづ。いいなぁ。そういうの、若いうちよ。」 何言ってんだか。ゆづ姉だってまだ若ぇーじゃん。 ゆづ姉は、続けた。 「辛いこともまだたくさん待ち受けてると思う。でもつづ。自分を見失っちゃダメよ。絶対に。」 ……。 自分の信念に従って。後悔しないようにね。 ゆづ姉は、諭すように言った。 「……うん。わかった。」 俺は素直にうなづいた。 「そだ!明日例の海昊くんに会えるのよねー!楽しみ!」 ゆづ姉は、いきなり声のトーンを変えた。 天井を見ながら、両手の指を組んで乙女チックに目を輝かせる。 ダメもとで海昊さんに事情を話したら、明日家に来てくれることになったのだ。 母さんが、かっこいいのよ。と、言っていたのを期待している顔。 ったく。既婚者のくせに。 俺は呆れて、おやすみ。と、先に床に就いた。 「つーづ。もう9時だぞー!」 朝。うつぶせのままゆづ姉の声を聞く。 カーテンが開く音。窓を開ける音。 「うー。」 目をつむっていても右側から太陽が差しているのがわかる。 まぶしいし、風が寒い。 俺は掛け布団を体に巻き付けるようにして、寝返りを打って壁側を向いた。 「これなら、どーだ!」 ゆづ姉のいたずらな笑い声。 「うわっ、寒っっ!!」 掛け布団をはぎとられた俺は、思わず身を縮めて丸くなった。 北風が容赦なく吹き付ける。 この冬空に、窓全開って、鬼かぁ!!悪魔かぁ!! 俺は取られた掛け布団をゆづ姉から取り返してゆづ姉を睨んだ。 「ひと殺す気?ゆづ姉……」 「殺されたくなかったら起きる。いい天気よー!」 ゆづ姉は大きく伸びをした。ちゃっかり化粧もしているし。 ……。 仕方なく、俺は一階の洗面所に顔を洗いにいった。 水冷たっ。 鏡を見る。 左頬の傷。指でなぞった。 ―――自分を見失っちゃダメよ。絶対に。 大丈夫。この傷がある限り俺は……。 「なーに、見とれてんのよ。見とれるほどいい顔してないでしょうが。」 「う……うるせぇな。見とれてたわけじゃねーし。」 ゆづ姉は腕を組んで笑った。 朝食用意してあるよ。と。 俺は、顎を下げて、台所に足を運ぶ。 久々の和食の朝食。 いつも朝はパンだ。時間がないときは栄養ドリンクだけで済ますときもある。 ご飯に味噌汁。卵焼きに焼き魚。 「……うまい。」 具だくさんの味噌汁。そういえば、ゆづ姉は昔から料理が得意だった。 「当たり前でしょ。ゆづ姉ちゃん特製、愛情たっぷり味噌汁!」 ……あっそ。何か褒めるのは悔しいからやめよ。 卵焼きを一口。 「でも……やっぱ大阪って薄味なんだ?」 何となくだけど、昔作ってくれたのより薄い感じがした。 ゆづ姉は、舌を出した。気を付けたつもりだったけど。と。 「やっぱり影響されちゃってんだね。言葉とかもいきなり関西弁になっちゃったりして。」 ……へぇ。 ゆづ姉、頑張ってんだな。 旦那の為に甲斐甲斐しく料理作ってる姿、想像しちまった。 「あ、そういえば海昊さんも大阪なんだ。実家。」 「そうなの!いつくる?お昼食べていけるって?」 よほど待ち遠しいらしいゆづ姉。 「昼は無理かな。海昊さん妹さんがいるから外食は殆どしないし。」 「へぇ。やっさしい。」 「ゆづ姉と大違っ……痛っ!」 言い終わる前にはたかれた。 「何か言った?殴るわよ。」 いや、殴ったし。殴ってから言うな。ったく。 茶の間に行くと、いつもは炬燵でミカンを食べている母さんも何だか落ち着きがない。 しかも化粧してるし。 何だかなぁ。 そうこうしている間に、昼過ぎ。 轍生が来て、予定時間。チャイムがなった。 「いらっしゃい、海昊さん。」 「つづがお世話になってます。姉の夕摘ですー!」 「あら、海昊くんいらっしゃい!あがってあがって。」 皆に出迎えられて少し驚きつつも海昊さんは菓子折りを手渡した。 うわ。気ぃつかわせちゃったなぁ。 俺は、海昊さんに頭を下げた。 大阪から数年ぶりに姉が来た。と、海昊さんには伝えてあった。 茶の間で海昊さんが持ってきてくれたお菓子をいただきながら、ゆづ姉が主に話を盛り上げた。 海昊さんは優しい相槌と穏やかな返答でゆづ姉の話に付き合ってくれた。 会話が途切れたところで、俺は2階へ海昊さんを促した。 ずっとこんなじゃ居心地悪いだろう。 何故かゆづ姉がついてきた。 「なんでついてくんの。」 「これだもん。かわいくない、弟ねぇ。ね、海昊くん。」 ……海昊さんに振るな。 ほら、何て返していいか困ってるだろ。 「汚いけど、どうぞ。」 ゆづ姉が俺の部屋を指さす。 ゆづ姉がいうな。しかも汚くねーし。 海昊さんが笑った。左エクボがへこむ。 「仲、ええんね。」 「そんなことないっス。」 語尾が強くなってしまう。 轍生が仲いいですよ。と、言ったのを睨んで海昊さんを部屋に案内した。 部屋のドアの前で、ゆづ姉は足を止めたまま、言った。 「海昊くん。つづと轍のこと、よろしくね。」 ゆづ姉はしおらしく海昊さんに頭を下げた。 「ゆ、ゆづ姉。」 俺と轍生は慌てたが、海昊さんは恐縮して、はい。と、言ってくれた。 ありがとう。ゆづ姉は笑った。 ……。 ゆっくりしてってね。と、下に降りて行った。 「……すんません。海昊さん。」 海昊さんは、首を横に振った。いいお姉さんやね。と。 恥ずかしかったけど、はい。と、返事をした。 「……そだ。俺ら昨日滄さんの中坊の時の話、知り合いから聞いたんですけどね。」 轍生もうなづいて、俺の言葉を引き継いだ。 「信じられなかったっス。あの、滄さんがすげぇ、荒れてたなんて。」 海昊さんは知っていたのだろう。うなづいて、話してくれた。 「救われた。ゆうてはった。氷雨さん。」 海昊さんは、直接滄さんから聞いた。と、いって続けた。 「氷雨さんは、自分のことしか考えてなかった。そうゆうてはった。全て否定してくれたんは、紊駕やったんやて。」 「如樹さん、かっけぇーっスね。」 海昊さんは、すっかり暗くなった空を窓から見上げた。 俺も倣う。 空には月が浮かんでいた。 何だか、くだんねーことゆってんじゃねーよ。って、如樹さんが言ってる気がした。 桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す。 いつか、俺もなれるかな。 いや、なってやる。いつか、この言葉が似合う男に。 今までのDark Road。見つけた一筋のLight。 Dark To Light。 自分の過去の行いを心に留めて、未来は、後悔しない為に。 俺のペースで一歩ずつでも。確実に、進もう。 1992年。俺の一生涯の目標ができた―――……。 <<前へ >>あとがき へ <物語のTOPへ> |